ROKU's Daily Life

あんなことやこんなこと

『アナキズム入門』

アナキズム入門 (ちくま新書1245)

アナキズムは、権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」(鶴見俊輔『身ぶりとしての抵抗』)

 権力が、一部の人の利益にだけ配慮したり、選挙制度も自分達に都合よく変更したりするのなら、そもそも何のための権力? …という疑念が常にあって。
むろん19世紀〜20世紀初頭と現代では同じように理念を語れない部分もあるけど、まずは「権力のない社会」を想定してみるところから始めるのも悪くないんじゃないか。

そもそも「はたらかないで、たらふく食べたい」(by栗原康)のである。当たり前のように、お金とご飯を食うことが結びついていることがおかしい。関係ない。お金はお金で、ご飯はご飯だ。

私たちは働くけれど、それはお金のため《だけ》ではない。社会の一員として、できることをしたいからだ。別にその報酬は仕事をした相手からもらわなくてもいい。そもそも報酬なんてなくてもいい、ちゃんと生活してさえゆければ。つまり、「お金はお金で、ご飯はご飯だ」。
 
 

現代史

こないだTVで

「サウンドオブミュージック」の
トラップ一家について放送していた。


それを見ていた長男が
ヒトラーって悪いヤツ?」
と言った。


「うん。ナチス時代のドイツはひどかった」

「ボクらは日本で良かった」

「当時は日本政府もナチスと手を組んでた」

「えっ…?」


息子は絶句したまま私を見ている。


「どうした」

「お父さん、大丈夫だったの?
 それともヒトラーに協力したの?」

「ちょちょちょちょっとまて」


(『デイリー・ロク』2001.5.14)

 

 

早く帰って妻と話そう

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今日は午後6時過ぎに帰宅した。妻も早く帰れるシフトだったので、夕食を一緒に食べることができた。
息子が二人とも家を出て一人暮らしを始めて以来、ずっと妻と二人なのだが、夕飯を同じ時間に摂ることはそれほど多くない。

スーパーの惣菜を並べただけの、ささやかというよりどちらかといえば貧相な食卓だけれども、「木曜日は安くなるから」と、今日妻は私の好物の刺身を買ってきてくれた。

「このてんぷらパサパサしてる」とか、
「今日帰りの列車が遅れてさ」などと、たわいもないことを喋りながら、そしてテレビもちらちら見ながら食べるのである。

子供が巣立った後また二人に戻った夫婦は、もはや新婚時代のような夢や熱情は残っておらず、それまで話題といえば子供のことばかりだったので、顔を付き合わせても今さら話すことなどないのである。

しかしそれでも、くだらない話題でも、なんとかひねくりだして話をする。てんぷらが不味いねと相づちを打つ、その瞬間が愛おしい。列車が12分遅れた理由に二人で首を傾げる、その瞬間はかけがえのないものだと思う。

いずれ別れは来る。

私が先か妻が先か、それはわからない。わからないことは悩んでもしょうがない。
できることは、二人の物語を日々紡いで行くことだけだ。

親というのは淋しいものである

昨日、次男(22)の荷物を、彼の新しい住まいへ運んだ。大阪なので西条ICから高速を走りづめでも4時間近くかかる。
長男も昨年広島市内で一人暮らしを始めたから、わが家はまた妻と私の二人だけの暮らしに戻ったことになる。
 
今日は普段どおり会社に出て働いた。
妻の帰りが遅い日なので、私が夕食の買物担当だ。終業時間を少し過ぎて
「おっとそろそろ帰らなきゃ」
と思ったすぐ後
「そうか、もう次男はいないのだ」
と思い直した。ならばそんなに急いで帰宅する必要もない。
そしてまた
「そうか、もう次男はいないのだ」
と、もう一度思った。
そしたら、ひしひしと淋しさが押し寄せてきた。自分でも意外だった。
いずれ子は巣立つものだと、頭ではわかっていたけど、これほど淋しさが身にしみるものだとは思ってもみなかった。
親になるということは、親であるということは、淋しいものなのだ。
私自身の親もこんな気持ちでいたのかと、今さらながらに心の中で手を合わせたことである。
 
とはいえ、妻と新婚当時のような生活に戻ったわけではない。正確には「二人と一匹」である。
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こいつのために、やっぱり早く帰らなきゃと、今日から決めたのである。