ROKU's Daily Life

あんなことやこんなこと

『失われゆくものの記』

失われゆくものの記 (集英社文庫)

失われゆくものの記 (集英社文庫)

このルポルタージュは1967年から1968年にかけて雑誌『太陽』に掲載された。著者が訪ねた「失われゆくもの」のほとんどが、今はもう「失われてしまったもの」なのだろう。

先の姿が見えないから、来し方を振り返ってしまうのか。いや「温故知新」だと自らを納得させようとはするのだが。若い人に標の在処さえ教えることもできない老いた羅針盤。 

昔なら、彫る意欲も起きなかった図柄を、日数をちぢめて、仲介業者は要求してくる。金のためには、職人気質もねじまげられて、イヤな仕事もひきうけねばならない。そんな日は、一日、酒でも喰ろうて寝ていた方がいい、と中村さんはいう。(p87 伊勢型紙)

 嬉々として下品なものを作り続ける者たちがいる。知識も技術もあるのに、その根底となる魂がない。自然に対する畏敬と人間への慈しみがない。またそういうものを有り難がる人がいる。売れるんだからそういうものを作れといわれても職人はただ黙りこむしかない。職人は口べただからなぜその仕事がイヤなのかうまく説明できない。 

「お菓子も、いまは、宣伝せんとあきまへんねん。ちょっと名ァが出ると、すぐ類似品が出てきて、結局、機械で量産して、デパートやら小売屋へ売り出さはります。つまり工場菓子の方が市場をとってしまいますねや。(中略)わたしらのような手作りの菓子屋は、誰が考えても馬鹿らしおす。」(p143 古き京菓子

 マーケティングという名の欲望開拓時代。福祉施策さえ市場原理が幅をきかせる時代。心を込めた仕事とそうでない仕事の見分けがつかなくなった時代。出来栄えに魂がこもっているかそうでないかをかぎ分ける感性さえもはや皆が失ってしまった、そんな時代。 

「ちょっと織らせてみたんですがね。ごらんになりますか。羅ですよ」

 (中略)

「一尺角二万円はかかりましたかねえ」
とのこと。頭で計算してみると、わずかなその布も、たいそうな値段だ。
「これは、何にお使いになるんですか」
「まだ、考えてませんのや」(p225 日本の表具師

 ゴールを設定しそれから逆算してスケジュールを決め必要な資財と人材を投入していくやり方。決められたコースをまいにち脇目もふらず走る馬車馬たちの群れ。無駄なく効率的で効果的で味気ないメソッドとマニュアル。モチベーションを煽るためのテクニック。探照灯の光を浴びながらつつかれる重箱の隅。

 

失われたもの。それは何だったのか。